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ゲイの親父にパタヤまで連れてってもらう

4月8日 (土) シアヌークビル−パタヤ (WHITE ROSE2)

8時起床。シャワーを浴び隣のレストランでフランスパン1本とかなりまずいアイスコーヒーの朝食を取る。

10時チェックアウトし、バイクで10時半船着場へ。アホイはついにここで本性を出した。昨日と今日のバイク代で25ドル欲しいというのだ。半田は困惑しながらも断りきれない人のよさだ。私はこれでもかなり出しすぎだと思いながらも10ドルアジムに渡してやった。10ドルが以下に大金かを奴も分かっているようで少々ごねながらも喜んで受け取った。

12時出航。船はそんなに込んでなくそれなりにエアコンも効き(そりゃそーだろ、15ドルもするんだから)、自分の席もあった。雷が落ちまくっている方向へ船が向かっていくのがちょっと不安だったが4時間弱でカンボジア側のパスポートコントロール、コッコン到着。

今度は小さなモーターボート(100B)に乗り換えて国境を目指すのだがこれがまた恐ろしい地獄ボートであった。落差の一番大きな一番前に座ったのが運のつき、悲惨の悲惨。超高角度ビテイコツワリ500連発が全身の日焼けの痛みとの相乗効果で未知の世界を見せてくれた。あまりのすごさに疲れは一気にレッドゾーン。何分ほどこの拷問を受けたのかも分からない。よほど耐えかね後ろの少しでもましだと思われる場所に変えてもらおうと頼むタイミングを計っているところでようやく国境到着。このボート、ジジババはマジで死ぬぞ。

タイ人旅行者らしき人にここからパタヤへはどうやって行けばいいか?と聞いているとたまたま話を聞いていた太った親父が「俺はパタヤからここまで来ているから乗せてやる」と言ってくれ2人で15ドルで話がついた。

名前はジーター、ドイツ人、ゲイ。カンボジアにはゲイ用のスペシャルツアーを作るための視察に来ていたらしい。2年ほどパタヤに住んでいるらしく、現在は男と一緒に生活しているらしい。その話を聞かされたときはわが身の心配をせざるを得なかった。が、とてもいい人で話し好き。ホンダシビックも絶好調で夜11時頃パタヤ到着。もし偶然に奴に出会わなければたぶんどこかの小さな街で泊まらなければいけなかったであろうことを思うと本当にラッキーだった。旅をしていると俺って本当にツイテルナ、と思うことがあるが、これもそのひとつ。ついてないこともよくある気もするが。

3年前泊まった宿を訪れてみるがあまりにも汚かったのでその隣のホテル(400B)に部屋を取った。カンボジアの味に飽き飽きしていたのでケンタッキーフライドチキン直行。久々のジャンクの味に感動すら覚える。久々のネオンにエキサイト。朝4時ころ宿に戻った。
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シアヌークビル

4月7日 (金) シアヌークビル (APSARA HOTEL)

9時起床。朝食も取らずビーチに出てまた寝る。

2時、アホイとアジムにつれられシアヌークビルを流してもらう。廃墟と化した高層ホテル、一番新しいカジノ付ホテルなどなど。一度宿に戻り5時から8時まで昼寝。バイクにまたがり夕飯(骨ばかりのチキン)をとったあと4人でビリヤードをしにいく。

ビリヤード場に行こうといっているのに長い時間をかけやつらが連れて行ってくれたのはピンクの蛍光灯のつく売春婦の溜まり場だった。ちょっとゆっくり見てみたい気持ちを抑えて「もーえーから…」とうながしビリヤード台を置いているところへ。日本対カンボジア。勝負は五分五分。何もやることがなくこればっかりやっている奴らと五分というのはすごいということにしておこう。午前中に焼かれたおなかと太ももが真っ赤で強烈に痛い。胃もかなり重い感じで(理由は分かっている)調子が悪い。

11時半宿に戻り水シャワーを浴びると全身に悪寒が走り、震えが止まらずかなりやばかった。どうにかベッドに横になり半田が日本から持ってきた「ボルネオホテル」を読みながら眠りについた。

プノンペン-シアヌークビル

4月6日 (木) プノンペン-シアヌークビル (APSARA HOTEL)

夜中何度か目を覚ますと外はずっと雨が降っているようだった。雨脚の音が絶えず聞こえていた。

5時過ぎ起床。雨の音だと思っていたのはエアコンから聞こえる音であった。心配して損した。シャワーを浴びてチェックアウトし、セントラルマーケットへバス停を探しに行き少し離れたところですぐ見つけることができた。

8時15分の出発まで45分くらいあったのでセントラルマーケット見学。ワットプノンか王宮あたりを見に行こうかとも思ったがどうせそんなもんやろー、というのがあったので行くのを止めた。ここでお土産を少し、仏像3ドル、ブレスレット5個2ドル、半田は偽ローレックス15ドルを買って喜んでいた。

バスは珍しく定時に発車。途中休憩があり、バスは停車、人は何もさえぎるもののない広場へチリジリに歩いていく。何かと思えば用を足しているのだ。女性も腰に布を巻いて人目はばからずしていた。日本人のはしくれである私はできるだけ遠くまで行ってしようとしたが地雷を踏むのは本位じゃないのでそのへんで用を足した。

12時シアヌークビル到着。今回始めてハプニング無し、太陽が落ちる前に目的地に着くことができた。客引きのバイタクでオチャデールビーチのアプサラホテルに部屋を取った。

荷物を置いて歩いて3分ほどの海を見に行く。鳴き砂できれいなビーチだが海のほうは透明度が今ひとつ。まぁ、日本の海に比べれば美しすぎるというところだが。タイの海のほうがよほど美しい。どこで食べても何一つ変わらない味のランチを取り、ビーチで将棋をしながらボーっとした時間を過ごす。

こういうところでは静かに海でも眺めていたいのだがそうはいかない。物売りの子供たちがひっきりなしに攻撃してくる。パイナップルやマンゴーを買ってやると「私からも買って!」とひっきりなしにやってくる。将棋のゲームも人質にされ4つも駒をなくされてしまった。可愛さ余って憎さ百倍。

プノンペンはまだか・・

4月5日 (水) シェムリアップ−プノンペン (MORAKAT HOTEL)

5時起床。シャワーを浴びてチェンラーでピックアップトラックに乗り1時間ほどで船着場へ。そこから小さな船に乗ってスピードボートのところへ。ここで待っていた小さなスピードボートはすでに満杯で屋根の上に座らされた。

7時半過ぎボートはトンレエサップ湖を静かに滑り出しこのとき誰もが昼頃にはプノンペンに到着できると考えていた。だがそうはいかんだろー。ここはカンボジア。お約束通りボートは炎天下の中・・止まった。やっぱりね。なんでも網に引っ掛けたとか。(ただの故障だったような気もする)

気が狂いそうになる暑さの中いつ動き出すとも知れずのどは渇くわ、腹は減るわ、肌はじりじり焼けてくるわ、タバコはないわ、で毎度のことながら泣けてくる。インドネシアでの船の悪夢がよみがえってきた。存在を知らなかった船室にふと下りてみると、なんとそこは少しながらもクーラーが効いていて、こんなんあるんやったら教えとけ、ぼけっ!とつぶやきながら席に座り救助を待つ。

スピードのまったくでない船に引っ張られながらゆっくり進んでいった。あるとき一回り小さいスピードボートが到着。半分ほどの客を乗せて出発。一度停まってひゃっとさせられたが、その後はどうにか飛ばしてくれた。

ようやくプノンペンか、と思った頃空は暗くなり、雷がいたるところで光りだした。ボートは躊躇なく雷が落ちているほうに向かって突っ込んでいく。雨が降り出すと、屋根の上にいた私たちには弾丸のような雨を全身にくらい、ぬれた服は強風で容赦なく体温を奪っていき体が寒さで震え始めた。

午後4時。ようやくプノンペン到着。ようやくついた。辛かった。無事に着いてよかった。聞いたところ3月22日にこのボートはゲリラに襲われ死者は出なかったものの、全員猿ぐつわをかまされ金品の強奪にあったらしい。何もなくてよかった。

で、ようやくプノンペンか、と思ったらそこはまだプノンペンではなかった。なんとここからまだ車で2時間かかるとか。アホか。さすがに外人部隊の疲労度は濃く落胆した表情を思いっきり見せながらそこらへんにあった車を拾って乗り込みプノンペンを目指した。

このとき同じボートには英語をしゃべるカンボジアの女の人がやたら世話好きでとても助かった。私と半田の乗った乗用車(カローラサイズ)は前に4人、後ろに4人のカンボジア何でもありスタイルでつめられ豪雨の中カンボジアのアイルトンセナは100キロオーバーでプノンペンを目指した。

フロントガラスはほとんど前が見えず、その中で無理な追い越しを躊躇なくするそのドライビングテクニックに私は感動した。横の窓を開けたまま(閉まらない?)走るので後部座席一番右の私はぬれたまま凍えていた。

7時頃本当にプノンペン到着。ついたところはスピーボートを経営しているところで、一足先に到着していた外人3人が金返せバトルを始めていた。それを隣で静観しながらいつ俺も参戦してやろうと状況を見つめ、1人あたり10ドル奪い返したところでバイタクに乗りモラカットホテルへ行った。1000リアルのところ、1100リアルやると奴らは無邪気にとても喜んでいた。これでホテルからコミッションが入ればいい晩飯が食べられることだろう。

とりあえず今日一日何も食べていないので中華の店で2人で12ドル分食べまくった。中国人がやっているところでまったく言葉でコミュニケーションができなかったので、筆談で酢豚(ちがうのがでてきた)、ホイコーロー、チャーハン、水餃子、肉まんを頼んだ。かなり肌が焼け痛い。部屋はエアコン付だが効きが悪い。

バンテアイ・スレイ

4月4日 (火) シェムリアップ (NEAK ANGKOR VILLA)

5時起床。アンコールワットの日の出を見に行く。5時半集合だったのに、少し遅れ外に出てみるともうかなり明るくなっているのにあせりながらバイタクでアンコールワットを目指した。

到着してすぐ真っ赤に燃えるまん丸な太陽が遺跡の左から出てきた。それなりに美しいものであったがこのときすでにかなり蒸し暑くさわやかに感動できる状態ではなかった。昨日すでに訪れたバイヨンは半田だけに回らせて近くの食堂で犬の肉を焼いたようなものを朝食として食べた。

暑すぎてもはやとても歩ける状態ではなかったので40キロほど北にあるバンテアイ・スレイに行くことにした。道がかなりひどいと効いていたが、車の後ろにさえつかなければそれほどのものではなくのどかな風景を楽しめた。

約40分でバンテアイ・スレイ到着。なぜかこんな辺鄙なところにある遺跡にかなりの日本人を含むツアー客が着ていた。赤い色をした岩で作られているという違い以外は暑さですでに脳がやられている私としては何も分からず。水分を求めて売店に走る。コーラを飲みながら物売りのガキにカンボジア語で数字の数え方を教わったりし、お礼にクロマーを1枚(US1)買ってあげた。戻る途中でプレ・ループに立ち寄り宿に戻った。

足はバイクが跳ね上げた赤土で塗装され埴輪状態。宿に戻ると昼間っぱらから握力がなくなるまで洗濯、そして昼寝。

今考えているのはどうやってバンコクに戻るかということである。もうあのピックアップトラックには乗りたくない。金を持っている半田は飛行機で帰りたいという。近くの旅行代理店を訪ねバンコクまでの飛行機代を聞いてみたところ145ドルだという。なんでも格安航空券というものはないんだとか。

一分で飛行機説は消えた。
チェンラに行き明日早朝のプノンペン行き船(US$23)のチケットを買った。

夕方5時半、またまたサンセットを見に行く。昼間と違い気温も下がりすごしやすくなったアンコールワットにはかなりの人々がきていた。花火が打ちあがるのをまだか、まだかと待つ夏祭りの雰囲気。太陽が沈み観光客が帰るとアンコールワットの遺跡内は人の出す音はなくなり虫だけの気配が残った。そこには建てられた当時の空気が静かに流れていた。初めてアンコールワットに来てよかったな、と思われたひと時であった。

夕食はまたオールドマーケット近くのレストランでそれなりピザとチャーハン。そこから歩いて宿に戻る途中、来た日の夜から気になっていた電飾ガンガンの大きなレストランをのぞいてみる。そこでは民族舞踊のショーを見ながらブッフェを楽閉めるようになっていてたくさんのツアー観光客が来ていた。ジュースとフルーツだけを頼みそのショーを見る(きっちり観戦料1ドルとられた)。テーブルについたときすでにショーは終盤で20分もするとショーは終わり皆帰っていった。

アンコールワット

4月3日 (月) シエムリアップ (NEAK ANGKOR VILLA)

6時過ぎに目がさめる。昼頃までたまった疲れをとるため寝るつもりだったが体はもはやタビモードに突入しているらしい。チェンラーゲストハウスでチャーハンの朝食。半田は風邪を引いたらしく元気がない。2日で早くもぶっ壊れてしまったようだ。朝食を食べた後ダウンした。

ところでこの私は絶好調。9時過ぎ、バイタクを捕まえ遺跡めぐりに急遽出かけることにした。遺跡入場料(20ドル)を入口で支払い、いざアンコールワットの前に立つ。さあ、どんな感動が襲ってくるのか?…。暑すぎて感想無し。この時間帯は観光に向いていないらしい。ほとんど観光客の姿はなかった。

次にアンコールトム、バイヨン。特に感想無し。そして昨夜たまたま見た日本人が書いた落書き帳のなかに、書き記されてあった一文があった。「タプローム。天空の城ラピュタのモデルになったところで、とても感動した」ここはなかなかよかった。遺跡が800年以上かけて成長した木々の根に侵食されそうになりながらも威厳を保っていた。そこに当時の息吹をまったく感じることはできなかったが自然の脅威が圧倒的な質量を伴って襲ってきた。

あまりに暑いので一度宿に戻り休むことにする。昼寝をして5時半、今度は半田も一緒にバイクに乗ってプノンバケンにアンコールワットのサンセットを見に行く。階段を登り山を上ると湿度の濃い空気の向こうにアンコールワットがかすんで見えた。ここには現地の人々も含めてかなりの観光客が上がってきていて、皆太陽が地平線に沈んでいく時間を楽しんでいた。

太陽が沈むと反対側にあるアンコールワット上空の空がオレンジ色に染まる。何百年も同じ風景があいも変わらず繰り返されてきているのだろうが、私にとっては特別な夕焼け。今日だけの夕焼けをカンボジアの国内の観光客であろう人々が歌を歌い、踊りだして楽しく彩ってくれた。

この後半田とちょっとうまいものを食おう、ということになり、オールドマーケットでバイクを下りロータスレストランというところで焼いた牛肉を食べた。味はまあまあ。オブチが倒れたらしい。

初カンボジアはデコボコ道に疲労する。

THAILAND-CAMBODIA
4月2日 (日)バンコク−シエムリアップ (NEAK ANGKOR VILLA)

5時半起床。何度か夜目がさめたものの結構よく眠れた。エアコンもそれなりに効いてくれた。シャワーを浴びて6時過ぎチェックアウト。朝食付だが早すぎるということでありつけずバスのピックアップを待つ。

6時半、バスに乗り込み他の客を拾うため他の宿を回る。客は9人。全員国境へ向かうようだ。座席はそれなりにスペースもありエアコンもばっちりで快適に走った。

11時30分、国境の町アランヤプラテート到着。カンボジアからの山のように高く詰まれた荷物を運ぶ何十人もの男たちでごった返していた。車から下りるや否や汗が一気に流れ出す。35度はあるだろう。そこには発展途上国特有の空気が流れていた。

訳のわからないバッジをつけたどうにもう胡散臭いガイド役を演じる奴らが現れこれからVISAをとる俺らのパスポート等を集めだす。基本的にこういうやつらをまったく信用しない私は自分で取ると突っぱねたが他の外人度もが皆渡してしまい孤立してしまったので結局任せることにした。問題なくVISA(1000B)は取れタイを出国し、カンボジア入国手続きに入る。

やたら高慢に見える係員に難なくスタンプをもらいバシニティチェックでいわれなき50Bをとられ次のピックアップトラックの待つ場所へ歩いていく。車が何台かあったのですぐ出られるのかと思いきや、この暑い中3時頃まで待たされいらいらする。

荷物を荷台に敷き詰めその上に腰を降ろし足を外に投げ出す格好で皆座った。2台に座りたくない何人かは200Bを余計に払い車内に座った。

車は砂埃を派手に巻き上げ走り出す。この一時が永遠に忘れられない素晴らしい想い出を作ってくれている。そう思える楽しいトラックの荷台であった。山はほとんどなくのどかな田舎の風景が延々と続く。道はでこぼこだが舗装されていてかなりのスピードも出て、この分だと6時間もかからないんじゃないの、とてもいいアトラクションだな、などとのんきな事を言っていた。このままずっと楽しい気分でシエムリアップまでいけると信じていた。この時までは。

4時半過ぎ、トラックを乗り換える。荷物をマット代わりに敷き詰めるのだがレイアウトが悪くうまく座れなくなってしまった。荷台の壁が高いので皆内向きに座った。道は走り出してすぐに地雷が爆発しまくったんじゃないか?と思われるようなでこぼこ道に。たまに穴があいているようならまだしも絶えず、ずーっと終わりなきでこぼこ道で苦しいものになった。けつは何度もビテイコツ割をくらい腕はジャンピングトラックを握り締めるのに疲れ悲鳴をあげる。狭い荷台に9人も座らされているものだから体の向きを変えることもできず地獄を見る羽目になった。赤土によどんだ水溜りから水は飛んでくるは、日が沈むと暗闇から虫は飛んでくるはで泣けてくる。

午後9時半息もタエダエでシエムリアップ到着。そのままFRESH AIR GUESTHOUSEとか言う所に連れて行かれたがエアコン付の部屋がなかったので移動することにする。あーだ、こーだ言ってくる馬鹿なバイタクの奴らに殺意を抱くも、ここがどこか分からず暗闇の中やみくもに動くわけにも行かないし、とにかく体が疲れきっていたので、どーでもえーから早くエアコン付の部屋で横になりたかったので奴らの言い値で(US$1)ガイドブックにかかれていたチェンラーゲストハウスというところに向かった。

そこのばあさんに値段交渉。ガイドブックに書かれてある6ドルのエアコン付シングルがいいというと15ドルだという。死にそうに疲れているにもかかわらずいきなり戦闘モード突入。「本に書かれているのは嘘か!」日本人客で食っている宿なので悪いうわさが立つことをやばいと考えるババーはアーデモナイ、コーデモナイと言い訳三昧。こっちはこっちで疲れて苛立っているので「分かった、分かった、じゃーとにかくこの本に書かれているのは嘘だってことだな!」といきり立つ。実は部屋は満室であった。それをはよ言えよ!金の話はえーから。

隣のゲストハウスにババーにつれられ移動。1泊13ドルのエアコン部屋を取る。このときすでにいくらでも値段はよかったのだが念のため、「この本に書かれてるのは嘘なんやな、結局」と3回ぐらい言っておいた。やれやれ。半田はエアコン無しがいいといったが聞き入れられない。部屋は広くて快適。エアコンの効きもまあまあ。

すぐに水シャワー。泥と汗にまみれた体を洗い生き返る。髪は針金みたいになっていてなかなか泡立たなかった。ここの宿は飯が食えないので隣のチェンラーで肉野菜炒めながら日記をちょっとつけた。この部屋のテレビはNHK衛星が入る。なんと我広島カープは巨人に開幕2連勝していた。今日は負けていたようだったが。赤い水の出る短パンを洗濯してお休み。
プロフィール

koji

Author:koji
やったらやったでどーにかなるよ!のいい加減さと石橋叩きすぎ心配症の2面性を持つ男。
人生は一度きりとか言われるとなんかやたら焦る・・・

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