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カルカッタからバンコクへ

2月5日 (木) INDIA−THAILAND
カルカッタ−バンコク (CH2)

6時過ぎ起床。昨日旅行会社で同じチケットをもらって日本人2人と7時に待ち合わせていたのだが、こないので7時半宿に出向く。TAXIに乗りカルカッタのダムダム空港へ。インド人の隣はいやだったのでそこにいた他の日本人と一緒にチェックイン。(彼女は鼻の頭、足などの傷が痛々しく化膿していた)

10:05発の予定がこれまた当然の如く遅れ13:30ようやくインドを後にした。まずい機内食を食べてる間以外はうつらうつらし、あっという間に懐かしいバンコク、ドンムァン空港到着。タクシーに朝の3人で乗りこみカオサンロードに(80b)。

2ヶ月足らずでカオサンに戻ってきたら町がかなり変わっていた。観光客でごったがえしホテルはどこも満室。いつものSIAM ORIENTALはかなり値段を上げていたにもかかわらずほぼ満室(600Bの部屋が1つだけ空いていたがそんなに出せるか!)。以前フンザで佐藤君がいっていたカオサンから少し離れているところにいるホテルに行くと運良く1部屋だけ空いていた(120B)。

久々にカオサンを歩く。ネオンがかなり増え2ヶ月前は工事中だったところが開いてたりした。約束していた9時よりも少し早く、タクシーに乗った2人と会い夕飯。SIAM ORIENTAL前のレストランで大好きないつものポークジンジャー(30B)を食べる。これを食べるとタイに来たとつくづく思う。2人はこれからロンドンに向かうとのこと。なんとこのとき初めてわかったことなのだがなんとネパール、カトマンズの宿で挨拶したことがあるとのこと。結構無口な男たちであった。

SIAMでターミネーター2を見てから宿に戻り2回シャワーを浴びてから寝た。暑くなったり寒くなったりまた暑くなったり体温調節が大変だ。今夜は咳が止まらない。以前カンチャナブリに行ったときのローリーにも再開。今は空港までのドライバーをやっているらしい。
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LUNGFUNGのアメリカンチョプシー

2月4日 (水) カルカッタ (HOTEL MARIA)

7:30AM石田君サルベーションから引越ししてくる。昨夜は12人中、一人の男がウシガエルであった。隣のベッドは韓国人女性、相撲のキョクシュウ山にそっくりだった。

午前中ジーンズ、ネルシャツを洗濯。洗剤を落とすとすぐに真っ黒い水になった。朝ご飯はいつものZURICHレストランでトースト、アイスコーヒー(23rs)。朝は晴れていたのに昼前急に風が出てきて雷雨になる。こんなに激しい雨が降ったのは今日が初めてだ。すぐに洗濯物を取り込みドミで雨が上がるのを「こちら葛飾区亀有公園前派出所」を読みながら待つ。

雨は30分ほどで上がり航空券をとりにいくと「2時って言っただろ」というので「12時っていうたわボケ」と言うと「あ、雨で遅くなっている、2時ね、2時」と言われた。その後郵便局へ行き昨日書いたはがきを出した。2時に戻ると航空券が届いていた。

この後マザーハウスへ歩いていった。建物の中に入るとミサの最中、なんとなく不思議な気持ちでそれを見つめていた。去年の9月5日までマザーテレサはここにいたのだ。今はここに墓があるだけ。主人のいなくなった家族のようであった。あるおばあさんがアルミでできたペンダントとカードをくれた。ついつい4枚ももらってしまった。できればもうすこし早くここにきてマザーテレサに会ってみたかった。10分ほどで出てきたが不思議にきれいな気持ちになったようなすがすがしさがあった。インド人の行動にいちいちむかついて怒鳴りつけたりするのがとんでもなく馬鹿らしいことのように思えてきた。

ここで石田君と別れ地下鉄に乗りチャドニーチョークのインディアンエアーラインの空港行きバス乗り場を調べに行った。うとりあえずチケットを確認してもらったらリファレンス番号があっていないなどと言われちょっとあせる。バスはここから出ていないとのこと。地下鉄ですぐ戻った。日本の感覚では地下鉄はすぐ来るものというイメージがあるが、もちろんここはそうではなく10分以上待たされた。バスにしておけばよかった。

午後6時30分頃、石田君とインド最後のご飯にでかける。いつものLUNGFUNGでいつものじじいにいつものアメリカンチョプシーを頼む。今夜は最後なので調子に乗ってモモ、VEG FRIED RICEも注文。モモはおいしかったがチャーハンは魚くさくていただけず。じじいがおつり1rsを店に黙ってくすねていた。でも愛嬌のある憎めないいいじじいで最後なので一緒に記念撮影もした。

明日はバンコクに飛ぶ。今考えてみるともう少し後でもよかったかな、という気がしてならない。今ではインド人にも慣れ、気にならなくなってきたところだ。(レストランが込んできて待つ人まで出てきたので追い出されるように店を出る)

屋台でチャイを飲んでいると経った今カルカッタについた日本人が宿探しに奔走していた。今はどこもいっぱいで難しいみたいだ。ついに学生どもの春休みが始まったようだ。夜11時、水シャワーを浴びる。12人のうち11人が日本人、後の一人は韓国人、なんか暗い奴が多く雰囲気が悪い。インド人もロクナノがいないが、訪れる奴らもたいしたことないのが多いようだ。石田君は俺がいなくなると孤立するとぼやいていた。

カーリー寺院

2月3日 (火) カルカッタ (HOTEL MARIA)

7:30起床。昨夜つけおきした洗濯物をすすぐ。フロントに行きドミトリーにかえてもらうとそこは日本人でいっぱいだった。9時過ぎサルベーションに行き石田君と会いドミの日本人と3人で朝食。

航空券を取ろうと昨夜訪れたスタートラベルに行くが、今日カルカッタは何らかのストライキに入っておりドゥルックエアーに通じず、パスポートコピーが必要だというので開いているほかの店を探した。その後違う旅行会社に行くと木曜日のドゥルックは一杯だ(ほんまか嘘か知らんけど)、というので機体の大きいインディアンエアー(5000rs)を頼んだ。

インド博物館にも行ってみたが、何も興味をかきたてるものも無くすぐ出てきて、地下鉄に乗り(PARK ST−カーリーガート2rs)羊の首を落とす事で有名なカーリー寺院にいく。これまた特にコメント無し。

街はストライキで昨日の活気が全く無かった。宿に戻り冷たいシャワーを浴びる。4pmいつものZURICH RESTAURANTで石田君と待ち合わせし、一度マリアに戻った後6時過ぎ夕飯を食べようともう一つの中華レストラン「香港」に行き席につくが、メニューを見たら高かったので席を立ち、昨日の食堂に行きアメリカンチョプシー(38rs)を食べた。うまい!インドNo1チョプシーの称号をここに与えよう。このあとまんま浮浪者姿の石田君、髪を切ってすっきりして

今日3回目のZURICH RESTAURANTに。チョコバナナパンケーキ(20rs)を食べる。後から同じ席に日本人2人座ってきて4人で喋る。夜軽く水シャワーを浴びたが少し暑く寝苦しく感じた。今夜は男7人、女5人。喉が少し変だ。誰か分からんがこのドミには1人ウシガエルがいる。

カルカッタ到着

2月2日 (月) −カルカッタ (HOTEL MARIA)

朝7時過ぎに目が覚めたが、寝袋に入ったまま窓からの景色を眺めていた。まだガラスは2重以上になってる上に傷つき汚れているので外の様子ははっきり見えなかった。英字新聞、アップルジュースと配られ9:10AM朝食。卵焼き、ラスク、バナナ、ケーキ、チャイ。

上のベッドでは賢そうな(昨日から彼女が英語を喋るのは分かっていた)インド人にサダルストリートにはどうやっていけばいいか聞いた。もちろんこちらとしては連れていってくれる事をあらかじめ頭に描いての行動だった。すると彼女は「タクシーでその向こうまで行くから一緒にどうぞ」と言ってくれた。思ったとおりだった。多分カルカッタは暑いだろうと思い、駅に着く前Tシャツに着替えた。意外にラジダニの17時間30分は早く終わった。

10:50AMほぼ定刻でカルカッタ・ハウラー駅到着。彼女はポーターに荷物を持たせ(20rsも払っていた)駅出口へ。外は夏の陽気でじっとり汗がにじんでくる。彼女はタクシーの運ちゃんと2,3言話し私を乗せてくれた。タクシーは他に2人のインド人も乗せ出発。ハウラーブリッジを通り、カルカッタ市街へ。どこを見てもすごい人、渋滞でカルカッタにたどり着いた事を強烈に感じた。サダルの前のインド博物館の前でおろしてもらうまえに彼女(政府関係の仕事をしているとのこと)とは住所交換をし今回の旅で始めてインド人女性と握手をしてサヨナラした(タダだった)。上流の人は、その他大勢のインド人とは大きく違うのであった。

インド博物館横の通りは安宿の並ぶサダルストリート。バラナシからデリーまで一緒だった石田君と再会できるかどうか分からなかったがとりあえず泊まると聞いていたサルベーションアーミーへ行き台帳を調べていると名前があった。部屋まで行くと荷物があったが奴はいなかった。部屋を出ると階段から奴が下りてきて2週間ぶりの再会。

サルベーションにはベッドが開いていなかったので宿探し。8,9軒当たってみたがどこもシングルは一杯、または高かった。結局ホテルマリアの高いシングルに泊まらざるを得なかった。180rsも取られて一体どんな部屋かと思いながら行ってびっくり、監獄のような部屋だった。

2人で街ブラ。まず屋台のようなところで焼き飯。一度宿に戻り水シャワーでさっぱりしてニューマーケットへ行ったが何にも無くすぐでた。食堂でコーラを飲んでビクトリア記念堂、カルカッタ公園、ではたくさんの人々がそれぞれ楽しく過ごしていた。夕食はガイドブックを読んでとても行ってみたかった中華レストランのHOW HUAへ。日本の味と同じという触れ込みであったが、そのとうり。酢豚、中華丼(あとコーラで96rs)とおいしくいただけた。今9pmレストランを代え、バナナラッシー、コーヒーを飲みながら書いている。

今次なる問題が起きている。それはバンコク(航空券代4600rs)へ行くか、シンガポール(7500rs)へ飛ぶかである。今夜は1月5日以来の久々のシングルルームである。

ラジダニ・エクスプレス

2月1日 (日) −ニューデリー− (夜行列車)

隣のベッドはガマガエルであった。普通では考えられないようなおおいびきで発作を起こして死ぬんじゃないかというぐらいうるさくベッドに蹴りを入れようが、チェーンを叩き付けても一向におさまらなかった。ガマガエルはこいつだけではなく、周りのいたるところからの大合唱で、またまた気が触れそうになる。ウォークマンを最大ボリュームで聞いてもクソジジイのいびきが聞こえなくなる事はなかった。それでもどうにかこうにか寝ることができ朝7時前寝袋を詰め直す。

私のすごいところは思った時間に目覚し時計をかけなくても起きられる事だ。この列車はボンベイ行きなので寝過ごすとまずいのだがうまくちょうどいい頃にはきちんと目が覚める。定刻より10分ほど遅れてニューデリー到着。この後ジャイサルメールに行くか、とっととカルカッタに向かうか迷いながらHOTEL HARERAMAへ。ここは24時間チェックアウト制なので朝はいると朝でなくてはいけない。今日デリーで一泊すべきか?ホットシャワーも浴びたい。だがシングル150rsは高すぎる。

あー、どうしよう、どうしようと思いながらとりあえず荷物はラゲージストア屋に預けた。ニューデリー駅2回の外人用予約室に行くと日曜日で閉まっていて「あかん、今日はスタックや!」と思い宿を探そうとメインバザールに戻ってくる。

前回2回いったチョプシーのうまい中華系食堂で列車時刻表をめくっているとカルカッタ・ハウラー行きの特急を発見。再度駅に戻り今度は通常の窓口へ直行。するとこの列車は既に一杯との事。しかしまだ取れる可能性は十分あるというので(44番目のキャンセル待ちらしい)金を払って(ラジダニ・エクスプレス1120rs)午後2時の確認しにこいといわれた。駅に行く前20ドル(740rs)両替しておいて良かった。行ってなかったらもう一度往復しなくては行けないところであった。

駅、メインバザールで歩いているといろんな客引きが声をかけてくる。ツーリストインフォメーション、ホテル、ハシシ、マネーチェンジ、土産屋、こいつらは本当にただのあほだ。あまりにあほすぎる。とても人間としてあつかえない。教育を受けずに成長するとこうなるといういい見本だ。1日中ツーリストに声をかける、ただそれだけの人生である。詐欺師として生きる毎日はその表情にどうしようもない卑屈さを浮かびあがらせる。

2週間ぶりにデリーに帰ってきたが暑くなってるような気がする。Tシャツ1枚で十分だ。午後1:40駅に行く。チケットが取れた。さあこれから時間をつぶすのが大変である。ハレラマの屋上のレモンティーに続いて道端のレストランでコーラ。今朝ニューデリーに着いてもう3軒目である。

ハレラマの屋上で再度時間をつぶして午後4時荷物を取りに行く。そこで鋸のようなもので鍵を無くして用の無くなったただ重いだけのチェーンを切ってもらった。まさか切るものなんて持っていないだろうと思って聞いたのだが、その鋸を目の着かないところに隠していた。まさか客の荷物に手を出してるんじゃないだろうな。

4:40pm10番プラットフォームに着くとちょうど列車が入ってきた。インドの誇るラジダニ・エキスプレスだからさぞかしご立派なのだろうと期待してたら何てことない、他の列車とまったく変わらなかった。車内もほとんど変わらない。違うのは電灯の代わりに蛍光灯が使われ明るいのと、鏡が貼られている事ぐらいだ。あともう一つの大きな違いは客層である。あまりに値段が高いために金を持っている人しか乗れないということが姿を一目見れば明白だ。

AS7号車の55番に行くともう一人のジジイが同じ番号を持っていた。今のところ2人で1つのBERTHを使っている。只今8:05pm水筒に入ったチャイ、コーヒー、スープ、お菓子のスティック、ミネラルウォーター1本がサーブされた。8:25pmジジイが他の場所に移りようやくこの場所が俺だけのものになった。なかなかうまく英語を使ういいジジイだった。

9:10pm夕食が運ばれてくる。ベジ、ノンベジから選べ、ノンベジを選んだら骨付きチキンカレーのターリーだった。とりあえず食べ終え、寝る用意をする。皆、食べ終えると追い立てられるように準備に入った。枕、シーツ、毛布は支給されたが自分の寝袋の方が清潔そうなので使わなかった。マットの一部を荷物を置くのに使っていた為足が完全に伸ばせず、窮屈な体制で寝ざるを得なかった。ウォークマンを聞きながらいつのまにか眠りに落ちていた。

今回の列車は、上のベッドに上流階級インド人女性、すぐ隣に4人の欧米人女性、他の場所にもそのグループの一部、目の前にファミリー(子供3人の女の子、ほとんど黒人、お母さん子供をよくしばく)がいて、なかなか安心できる雰囲気だ。何といっても高級列車なので貧乏くさくないのがいい。

アムリトサル2

1月31日 (土) アムリトサル− (夜行列車)

11時前起床。とっくに目は覚めていたのだが起きられなかった。3人目が覚めた所で両替に出向く。昨日も行ったPANJAB BANKは両替してもらえず聞いていったBANK OF INDIAは12:15に行ったら12時までといわれ、結局インド銀行ちかくの両替屋で若干レートは悪かったが、現金が無いとチケットが変えないのでしょうがなく30ドル(1115RS)替えた。

すぐリクシャにのり1人でアムリトサル駅へ。今夜のデリー行きを手に入れまたリクシャーに乗ってゴールデンテンプルに戻った。部屋でロッカーから日記帳を取り出し書いているところに他の2人も戻ってきて、また昨夜の足の臭い奴も帰ってきたうるさく喋るので祐司君と2人でチャイ屋に逃げてきてこれを書いている。

目の前にはターバンを巻いた姿が滑稽な欧米人女性(その国の色に染まろうとするのはまことに素晴らしい事ではあるが笑える)、後ろには同室のスペイン人がいる。彼は相変わらずうるさく他の外人と喋っている。宿に戻ると中根さんがいなかったので帰ってくるまで1時間ほど寝た。7時、3人で昨日のレストランで夕食。とても腹が減っていたので2品VEG CHOMEN 25rs
VEG FRIED RICE 25rs食べた。両方とも全く同じ味付けであった。場所を代えいつものタバコの吸えるチャイ屋(今回は吸えなかった)に行き宿に戻る。

荷物をまとめて2人に途中まで見送ってもらいサヨナラした。リクシャで8:50pm駅に到着。プラットフォームにすぐ電車を煮付ける事が出来たのでチャイを飲みながら時間をつぶす。9:33pm定刻より3分遅れで出発した。アムリトサルのインド人はいい意味でインド人ではない。シーク教の力なのか?

コンノートプレイス

1月17日 デリー (夜行列車)

朝、宿近くのレストランで朝食(チョコハニーパンケーキ17rs)。
シャワーを浴び午後1時チェックアウト。昼はデリー初日に行った店でVegチョプシー、食べ終わった頃ギターおじさんまたまた登場。パキ、ラホールが今ヤバイ、とおどしをかけられる。

おじさんとさよならしてデリー最後の日はコンノートプレイスのまだ行ってない東半分を散策、そこには何とピザハットがあった。身なりのいい連中でごった返していて、店内もなんとも上流階級然としていた。高そうな気配が感じられたので素通り。次はWINPY登場。一度店の中に入ったものの高かったので外へ出た。しかし「マトンのハンバーガー」なんてなかなか食べる機会が無いと言う意見でWINPYへ。それでも注文したのはスパイシーチキンバーガー&チーズコンボ(65rs)であった。ここの客層も少数の金持ち風の奴等ばかりで、そこらへんのインド人とは明らかに雰囲気が違っていた。隣に座ってきたネパールに住んでいる北欧ファミリーの子供はとても可愛かった。折り紙をあげると喜んでいた。コンノート東側はオシャレな店がいくつかあり金のある連中にはいいショッピングエリアなのだろう。WINPYではがき2通書いて郵便局経由でメインバザールへ戻った。

明日からパキスタンだが、何の情報も持ってないので「地球の歩き方パキ編」を買うことにし、何度か行っている古本屋に行き値段交渉。ここのがめつい懲りない親父は最初450rsとぬかした。昨日まで3,4冊あったのが今夜は1冊しか残ってなかったこともあり少々焦ったばっかりに、何と350rsも出して買うことに。「そりゃーボリだよ、ボリ!」といわれてしまう額である。

HARE−RAMA前のレストランでチャイを飲み時間をつぶす。7時過ぎ預けてあった荷物を預かり屋まで取りに行った(5rs)。預ける際、NoMoney,NoCamera,NoWalkmanと書かされなくなっていても文句が言えないようになっている。たとえ、店番の親父がとったとしてもだ。

3人でメインバザールをうろつきながらニューデリー駅へ向かう。メインバザールを出た所で朝倉さんが「じゃ俺はこの辺で」と言い出した。私より遅い列車の石田君は出発するまで当然一緒にいてくれるものだと思っていたはずだが、その友達がいの無さにびっくりしていたようだったし、私もそう思った。ホモだの、ケチだの、言い過ぎたからか?根はいい人なのだが。ともかく1月7日から一緒だった朝倉さんにさよならした。駅での石田君との最後の晩餐は辛いターリーであった。

午後8時ごろ、7番プラットフォームに行くともう列車が入っていた。荷物をベッドに置き、バザールでつい先ほど買った太いチェーンで縛り付け車外に出てバナナを買い、コーヒーを飲んで1月9日から仲良くなった石田君ともさよなら。奴とは2週間後カルカッタのサルベーションアーミーで再会する予定だ。

久々に一人。しかし周りのインド人は放って置いてくれない。3人組みのボンベイから来ている奴等の相手をさせられる。いい奴のようだがインド人だけは信用してはならない。住所を書くようにいわれて以前住んでいた尼崎の住所を書いた。すまん。

ラールキラー

1月16日 (金) デリー (HARE RAMA GUEST HOUSE)

最悪の夜だった。喉の気管がふさがっている感じで激痛がはしる。イスラエリのバカどもは一晩中うるさかった。9時半ベッドから起きて薬を飲もうとしたがどれが風邪の薬か分からないのでそれらしいのを選んでとりあえず4粒放り込んだ。インドの病院、行くべきか?

11時オートリクシャーに乗ってパキスタン大使館へ(30rs)。11:15着。昨日12時にこいと言われていたのだが早く着いてしまったので、係官の機嫌を損なわないよう「ナマステー」と笑顔で迫りすかさずパスポートをもらった。バスでコンノートまで戻り写真をP/UP、糸屑が写し込まれていていい出来ではない。

鉄道のタイムテーブル(20rs)を買ってメインバザールへ。バナナ(8rs)を栄養の為と、パキスタンの寒さ対策にセーター(100rs)を買った。すごく込んでいると言われているニューデリー駅の2階の外人専用オフィスへ行ったがガラガラだった。朝発はスリーパーが無いと言われたので夜9時5分発に変更。ここに行く前、大使館の帰りにノーザントレインリザベーションセンターを覗いてみたが、バッグにカメラがあるからと追い出された。

3人でリクシャーに乗りラールキラー(デリー城)へ。途中登り坂がありさすがのリキシャマンも重過ぎたようで自転車から下りて押したりして苦しそうな姿に少し心が痛んだ。(チップや廊下と思った)が25rs渡してさっさとバイバイした。さてラールキラーであるが外観はともかく内側は店があるほか特筆すべきものは無し。歩き疲れただけ。

ラールキラーから重い足を引きずって20分、ジャマーマスジッド(モスク)へ。付近はすごい人出でこじきも沢山迎えてくれた。内部はこれまた特筆すべきもの無し。

オールドデリーの繁華街を歩く。今、モスリムはラマダン中で太陽が沈むのを待つ人が食い物屋の前で座って待っていた。それはお預けを食らっている犬のようであった。リクシャはちょっとむごいのでオートリクシャーで宿まで戻ってきた。夕食の後実家に電話すると送ってもらっているはずのフィルムがまだ着いていないとのこと。心配になって田場さんに電話すると水曜日にゆうパックで送ってくれたとのこと。さんざん金を使わないようにケチっているつもりでも国際電話をかけて大金払わされるとけちけちしていることがアホらしくなってくる。

薬とりあえず3回飲んだが、それが風邪薬なのかどうかもわからず効いている様子も無い。また恐ろしい眠れない夜になるのか、今夜も。

新カメラ調達

1月15日 (木) デリー (HARE RAMA GUEST HOUSE)

夜中喉が痛く(気管が狭くなっている感じ、飲み込むと痛い)何度か目が覚め苦しかった。7時過ぎ、8時にセットしておいてもらったはずのアラームが鳴り目を覚ます。喉があまりにも痛いので保険を使って病院に行こうと冊子を読むがデリーに該当の病院が無く少し憤りを感じる。ここはインドの首都だぞ。ちなみにインド国内の病院は1つたりとも紹介されていなかった。インドからの場合、最寄りの電話先はパリらしくて本当にあほらしい。使えない保険だ(東京海上)。

8時30分、1人宿を出てメインバザールを抜けた所でオートリクシャーを捕まえた。「日本大使館を知ってるか?」とちゃんと聞いて乗ったのにもかかわらず、やっぱりヤツは知らなかったようだ。途中でリクシャ仲間に聞いたりしていた。まぁまだ聞こうとする態度を見せるだけでも素晴らしいとしておこう。どうにか大使館が並ぶ通りまで行ったものの、奴はきょろきょろしだし結局アメリカ大使館の前でおろされた(30rs)。大使館のガードマンに聞きながらどうにか09:35日本大使館に到着。

初めての日本大使館、日本人は他に誰もいなくてインド人が5,6人いた。エンバシーレターをもらう際「パキスタンに入る前に1度御家族に電話しておいて下さい。」と窓口の女性に言われた時は少し複雑であった。スーダン、ユーゴ大使館を過ぎパキスタン大使館へ。インド人は沢山いたが、スペイン人1人、パスポートを忘れてきた日本人のおっさん。スペイン人は日本人のVISA代金がタダだと聞いて仏頂面で1100rs払っていた。ぼやくスペイン人と一緒に目茶苦茶に込んでいるローカルバスに乗りコンノートで下りた(3rs)。

アメックスバンクに行くと両替は違う所でと言われ向かっていく途中で1時に待ち合わせていた2人と約束前に会いAMEXへ。列に並んだものの、アメリカ人っぽいジジババなどがカウンターに割り込んだりして後ろのインド人が怒っていた。20分待って20000円両替し(5950rs)、昨日、今日の午前中と下見をしていたカメラ屋へ。散々下見に時間を費やし結局ペンタックス4800rsを買った。カメラを落としたばっかりに17000円もの出費は本当に痛い。

コンノートの青空カフェでチョウメンを食べ、朝倉さんがフィルム現像をしている間にアイス(20rs)を食べ、メインバザールに戻ってきた。昼あまりに喉が痛いのでで薬を買おうと、薬局の親父に話したらトローチを出してきた。ないよりマシだと思ったのでかってなめているが一向に良くなっている感じはない。スィッチを入れて少し待って、ホットシャワー。ごしごし洗った。ネパールで買ったロレアルシャンプーはどうもべとべと感が残って良くない。

午後7時前、宿を出てゴールデンカフェと言う所でハカチョウメン(30rs)、中華丼味のヌードルでまあまあの味。アグラーであったギター引きのおじさんにばったり会い、泊まっている宿の隣のホテルの屋上へチャイ(6rs)を飲みに行く。同じ経営の宿らしくメニューも味も一緒だった。おじさんが恐ろしいことを口にした。「パキスタンでテロが起きていることを今日の新聞で読んだと言ってた人がいた」とのこと。これからパキに行くというのに何とタイミングの良いネタを持ってくるもんだ。でも明日にはビザが取れるしインド滞在も出来ないので行くしかない。本屋に地球の歩き方インド92年版を売ろうとしたが古すぎて買ってもらえず。

デリーへ

1月14日 (水) アグラー−デリー (HARE RAMA GUEST HOUSE)

6時過ぎ起床。
3人とも荷物をまとめて7時半、宿(1泊60rs)からオートリクシャーに乗りアグラカント駅に15分後に到着。切符を買って8時20分発を待つことにした。どうせインドのことだから今回は何時間待たされるのか、結構本数で照るからバラナシのようなことはないだろうな、まぁチャイでも飲みながらと思っていたら乗ろうと思っていた列車の1つ前の便が到着。急いで乗り込む。3人で「こんなに嬉しいことはない」と言いながら2等の席に座り込む。あるインド人が僕の席を譲ってくれたのには驚いた。初めての2等シート。周りが結構静かなので落ち着いて乗れた。車内は寒く布を2枚巻いていた。

12:10pm定刻でニューデリーに到着。1番早い列車は2時間弱でつくと言うから約2倍かかって着いた。デリーは首都だけあってみせ、町も整備され華やかでこっちの心も軽くうきうきしてくる。

メインバザールで宿探し。デリーは宿代が高いとも知らず3人で5,6件見てまわり1時間かかってようやく決めた。そのうちの1つにアグラーであった2人の女性の名前が宿のノートにあるのを見つけびっくりした。昼飯においしくないEggVegFriedRice(25rsこればっかり)、モモ(20rs)を久々に食べた。歩いてコンノートプレイスへカメラを買おうと地下のパリカバザールへ。首都とはいえここはインド、こんな近代的な街があるとは思わなかった。人は教養がありそうな人が沢山いたし(一目で分かる、バカも多い)、大きなビルもあった。

で、カメラは値段にあういいものが無く少しいいものは8000rs以上もして躊躇してしまった。今日本では絶対売ってないおもちゃのようなカメラがほとんどでヤシカのカメラが多かった。コンノートの中心の青空カフェでチャイを飲む。上流階級風の家族連れ、デートしている若者、明らかに他の街より洗練された雰囲気があった。

夜食用にアップル1キロ買い込んで宿に戻り、1階には行っている旅行会社で今後について考えてみた。ビザは19日までなのでもう日数が無い。

選択肢は1)バンコクへ飛ぶ。しかし1番安いアエロフロート(7050rs)は水曜のみ。2)シンガポールへ飛ぶ(9700rs)3)パキスタンへ行く。VISA必要。陸路越境。4)カルカッタへすぐ列車で向かいそこから飛ぶ。または陸路でバングラデシュに入る。どれも一長一短で迷っている。ただし日数が短くなればなるほど選択の幅が無くなるので明日には決定しないと本当にまずい。宿の屋上のレストランで夕食。お腹すいていないのに食べ過ぎてお腹が痛い。ここのウェイターは英語が流暢でナイスなじじいであった。さぁ本当どうしよう。カトマンズで6ヶ月ビザとればよかった。

両替T/CUS$40−1556rs
プロフィール

koji

Author:koji
やったらやったでどーにかなるよ!のいい加減さと石橋叩きすぎ心配症の2面性を持つ男。
人生は一度きりとか言われるとなんかやたら焦る・・・

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