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アムリトサル・ゴールデンテンプル

PAKISTAN-INDIA
1月30日 (金) ラホール−アムリトサル (GURU RAM DASS SARAI)

5:45am起床。6時過ぎ眠い目をこすりながら3人で3回目のバードシャヒーモスクへ。まだ夜も明けないうちにモスクについたがまだほとんど人は来てなかった。もしかしてまた時間を間違ったか、とも思ったがかなりの数の警官が警備に出ていたので明らかに昨日とは雰囲気が違った。近くにチャイ屋を探して時間をつぶした。夜も明けて8時前にはモスクに戻り、人々がモスクに入っていくさまを見つめる。

8時10分過ぎから絶え間無く2つの入り口から人が入ってくる。パキ人と同じ列に並ぶのはためらわれたので、いい写真を撮れるようにと場所を探す。中根さんが広場を360度見渡せる建物の2回に上る階段を見つけてきたので、上がってみるとそれはそれはすごい光景であった。

8時30分過ぎお祈りが始まる。豆粒のように見える数万の人々が立ったりひざまずいたり同じ行動をマスゲームのように繰り返す。今日ここには首相等のおえらさんも来ているらしかった。写真を撮りに来ている外人、パキ人ジャーナリストは皆ここの場所でシャッターをきっていた。私も沢山写真を撮って下に降りる。

20分程度でお祈りは終わっ他のだが、朝靄の中も空くと礼拝する人々のコントラストは非常に美しかった。お祈りの最後に皆周りの人たちと抱き合っているのが印象的であった。子供たちもたくさん来ていた。通常女の人はあまり外に出てこないのだが、この日だけは別。化粧をし着飾っていた。みんなラマダンがあけてほっとしてるのだろうか?

9時過ぎオートリクシャーに乗ってYWCAに戻り、昨日の所でパキスタンで初めての合法的?朝食。残ったパキrpでたばこ「K2」を5箱買いパキ土産とした。

YWCAでパッキングを終え、フンザであったイギリス人にもサヨナラし、予定より2日遅れてインドに向かうことにする。YWCAの前から43番のバスに乗りラホール駅の前に。ワガーまで行くバスを幸運にもすぐ探し出す事ができはじめて前の席に乗り込む。前の席は基本的に女性が座る場所である。ワガーでバスを乗り換え国境へ。

12:30pm頃国境到着。以前くつろがせてもらった茶店でパキ製の偽マイルドセブン2個、コーラ飲んで残り金すべて使う。さてここでむかつくインド入国対策として現金をすべて隠す事にした。どこに隠すか散々迷った挙げ句ランドリーの靴下の中に隠し包んだ。ネパールrs等は日記帳にはさんでのぞんだ。まずパキ側。「両替しろ、両替しろ」としつこかったので、こいつはパキ人か?と苦笑。国境を越えあの屈辱のインドイミグレへ。こんなに準備してきたのに、エックス線に引っかかったチェーンを出さされただけで、拍子抜けしてしまった。入国してくる奴にはばれた後が怖いので盗まないのか?

隠し持っていたインドルピーを出しオートリクシャーでアターリーの街に行き3:30pm発のバスでアムリトサルへ。今朝早かったのでバスの中では荷物を背に熟睡。

4:30pm到着。懐かしいポテチ親父もそこにいた。タンガ(馬車オグリキャップ号)に揺られながらゴールデンテンプルへ。人に聞きながら無料宿泊施設にようやく着くと、ラホールYWCAにいた自転車軍団と再会した。どこでやられたのか、体のいたるところ湿疹が出たようになっており、特に腕、首、足が蚤に食われたようになっている。

1月23日以来からだを洗っていないので(水浴びはしていたが)ここも湯は出ないが水シャワーを浴びる事を決心。しかし水を浴びる所は仕切りなど無く外から丸見えなので海パンをはき浴びた。1回目のシャンプーは全く泡立た無いほど汚れてた。寒さと戦い、周りの目を気にしながらどうにかシャワーを浴び終えすがすがしい気分に。

食堂(ここも無料)に行くと閉まっていたので3人で外に食べに行く。近くのレストランで食べたホットガーリックチョーメンは塩こしょうききすぎで辛すぎた。ゴールデンテンプル内はもちろん、この付近も禁煙らしく、歩きながらたばこを吸っていると注意された。テンプルの入り口で電話をかけられる所があったので実家に電話。フィルムが着いたとのこと。ほっとした。まだ現像していないらしい。足を水につけて洗い、夜のライトアップされ水面に浮かんでるように見えるゴールデンテンプルを見に行く。美しかった、がそれだけ。ちょうど御輿のようなものが寺院から運び出されているところで人をそれを見て拝んでいた。

その後食堂へ行きタダ飯にありつこうとする。少し待たされたあとようやく入ることができた。いつでも入れるわけではないのだ。皆、列を作って座りダル、チャパティー、漬物のようなもの、水をいただく。お腹は全く空いていなかったしダルも素晴らしくまずかったのでチャパティー1枚だけ食べてまた外に出てチャイを飲む。

今日はいろいろな出来事があり部屋で日記を一生懸命書いていたのだが、そこに他の日本人がやってきた。俺の隣に腰を下ろしたのはいいが奴の足があまりにも臭かったので気分も機嫌も悪くなり書くのをやめ午前1時寝袋に入った。同室にはデリーのパキスタンであったスペイン人がいた。あれから2週間たつというのにいまだイランビザはどうやって取ればいいのか?と会う日と会う人に聞いている。進歩の無い奴だ。

ここはシーク教徒の聖地。外には布団も与えられていない巡礼者(こじきのようなものも多数)が布1枚巻き付けて眠っている。生活の奥深くまで浸透している宗教。今日はイスラム教、シーク教と2つの宗教の姿を見せてもらった。とても日本人の持つ信仰心とは次元が違うように思えた。
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パキスタン最後の夜

1月29日 (木) ラホール (YWCA)

朝7時祐司君に起こしてもらう。
7:45AMオートリクシャーに3人で乗りバードシャヒーモスクへ。なんとなく嫌な予感はしていたのだが、目的としていた集団礼拝は明日の朝だとのこと。この集団礼拝、ラマダン明けの朝10数万人もの人がここラホールにあるアジア最大のモスクに集まって祈りを捧げるもので、たまたまピンディーの宿においてあった雑誌NATIONAL GEOGRAPHICに写真が載っていたのを読んでいた。

それを中根さんはどうしても見てみたいと思っていたらしく、この日の為にラホールに下りてきたのだ。私も圧倒的な写真を見てその場を見られるのなら、と中根さんの申し出に乗った形になった。とにかく明日だということが分かったのですごすごと昨日歩いた道を歩いてYWCAに戻ってきた。

9時頃バザールはまだ開いてなく閑散としていた。YWCAからちょっと南に行った所に食事(チャイ3rs、サンドイッチ12rs)が出来る所を発見。まだラマダン中だというのに不良モスリムが一杯いた。食っていいのか?と聞くと、ここだけはいいのだ、とチャイをすすりたばこを吹かしていた。何なんだ、こいつらは!

そういえばフンザの雑貨屋の親父、アリアバードのバス停前のレストランでもたくさんの奴等が物を口に運んでいた。まあフンザの人たちは人種的にも土地的にもちょっと違うだろうから、と思っていたがラホールの人間もこの調子だとは。ラマダンはエジプトに続いて2度目だがいまだ良く分からず。何事にも例外があるのだろう。たばこを売っている所でハイライトスーパーマイルド赤パッケージ(15rs)発見。見慣れた青パッケージもあった。日本製の(多分)未発売のたばこがこんなに安く売られているのは驚きである。味もうまい。いつもおいしく吸っていたパキ製タバコ「K2」もなかなかいけるが。

今日から4日間パキはEID HOLIDAYという休みに入るらしい。イギリス人曰く「国境は閉まるんじゃないのか?」そんなあほな話しはないと思いながらも心配ではあるのでツーリストインフォメーションへ。そこは閉まっていたが近くにいたおっさんが「開いてる」というのであいているのだろう。

その後またバザールをうろつく。車、特にリクシャーから出る排気ガスと砂埃で空気の汚さといったらない。太陽も霞んで見える。電話局のような所から実家に久々に電話(1分60rs)。親がいなかったのでフィルムがついたかどうかいまだ分からず。

午後5時ごろ歩き疲れてYWCAに戻りベッドに横になってるとあっという間に気を失った。その間にあごと首を蚊に刺された。途中祐司君が買っていたパキ&世界地図付1998DIARY(約90rs)を私も欲しいと思ったがこれまた荷物になるのが嫌でまた諦めた。途中で別れた中根さんが戻ってくるのを待ってからまたまたPIZZA HUTへ。メニューは全く昨日と同じ物。7時頃行ったので店内はガラガラであった。

おめでとう。本日5:35pmとうとうラマダンの全日程終了。皆喜び溢れる夕食を取った事だろう。めでたし。めでたし。自分の分だけカードで支払おうとしたが駄目で、皆から金をかき集めて払った。明日パキを出る際少しでもパキrsの手持ちを少なくしたい為の行動であった。

YWCAのスタッフも全員休暇に入り今夜は客だけである。(日本人3人、イギリス人5人)あ、そういや変なパキ人1人いたっけ?明日からインドに戻る。お金どこに隠そうか。今夜も中根さんに緑茶を入れてもらい飲む。

インドのビザ切れの為に急遽来たパキスタンであった。あっという間の12泊であったが来て良かったと思う。カラコルムハイウェイの素晴らしく雄大な景色。多分もう2度とパキを訪れることはないと思うがもし来れたならば夏のフンザからMtラカポシの雄姿を眺めたいものである。ぴったりラマダンの期間に入り、不便であったが外人特権で飲み食いしたし何といっても後半ホテルのレストラン通いでいいものを沢山食べた。せっかくネパールのトレッキングでやせたのにかなりふっくらしてきた気がする。

本当に優しいパキ人。元インドとは思えないほどインド人とは違う。これほどまでに人間性を変えてしまう宗教って何なんだ?いい奴等が多かった。明日からは本家インドが待っている。またいらいらする毎日なんだろうな。フンザのハイダーじーさん、元気かなぁ?

ラホールで再会!!

1月28日 (水) ラホール (YWCA)

目覚し時計で8時起床。インドに行くつもりで起きたものの散々迷ったあげく今日は見送り。

YWCAに止まっていた他の日本人2人とHOLIDAY INNに朝食を食べに行く。朝食はEXECTIVE BREAKFAST(202rs)。ステーキサンドイッチをおいしくいただきながら買って来た絵葉書をかいた。

1人はピンディーに行く為抜け、残った大阪の学生とバードシャヒーモスク目指して歩く。そこまでの道はバザールで、人でごったがえしていた。靴屋が沢山あり人がショーウィンドーの前に群がっていた。遅れがちになるぼさっとした学生のおかげで2時間もかかってモスクにつく。あまり人はいず掃除をする人たちが結構いた。特に見るものはなくすぐ引き返す。途中学生があまりにも遅いので先に行く事を告げ別れた。ある土産物でいくつか気になるものがあったが荷物になるのが嫌だったので結局買わずに出た。少し道に迷いながら4時ごろ宿に戻ってきた。

学生も後から戻ってきてここに泊まっていた韓国人と共に汽車でぺシャワールに向けて去っていった。夕食に何か食べようとマールロードをさまようが何も見つからず、PIZZA HUT へ。久々に口にする生野菜。出来ないお代わりも店員に頼み込んでした。CHICKIN TIKKA PIZZAはまあまあの味。日本と変わらないピザ生地であった。大変満足して外に出ると、何と祐司君と中根さんにバッタリ。もしかしてまた会えるかな、とは思っていたがまさかこんなところで会えるとは。すごく嬉しかった。彼らはまだ夕食を食べていなかったのでうろうろするのに付き合う。

夜YWCAの管理人らしきババアが来てレジストに記入。この時昨日誰にお金を渡したかでもめる。もしかしたら偽管理人かもしれないようだが、こちらとしては渡した(1泊70rs)、の一点張りで逃げ切る。実際チーターかもしれない気もする。レシートをくれといってもくれなかった事を考えると相当臭い。ここでは他にフンザであったイギリス人にも再会した。シャワーは湯も出ず、蛇口から流れる水をすくうだけであった。

12時寝袋に入る。夜中蚊の攻撃を受けよく眠れず。手を2か所さされて首が大きく腫れ上がった。

ラホール着

1月27日 (火) −ラーワルピンディー−ラホール (YWCA)

朝4時頃23日に夕食を食べたキーマのおいしい食堂にバスが止まり、それほどお腹が空いてないのに先日の味が忘れられずまたまたキーマ、ナン、チャイのトリオをいただき気分悪くなる。

7時過ぎ結局ほとんど眠れないまま17時間かけてピンディーのピールワダイバス停到着。ここは巨大なバス停でピンディーから出るバスのほとんどが集まっている所だ。8時発のラホール行きのチケット(66rs)を手に入れ、今夜はPOPULAR INNに1泊するという祐司君とサヨナラしバナナ4本(6rs)買って乗り込む。

前回ラホールから来た時は110rsだったのに安いなー、と思っていたらこのバス、何と長距離ミニバスであった。窓の隙間から冷たい風はビュービュー吹き込んでくるは、狭いシートにぎゅうぎゅうにされるはで疲れた体にかなりこたえた。昨日の朝から4本目のバスである。

既に24時間以上が過ぎている。疲労はピークのはずだがとにかくギルギット−ピンディー間が予想以上に快適であったので、ピンディーに宿を取らずラホール直行という道をとらせたのだ。客を拾いに停まる度に直行バスにすれば良かったと後悔した。用を足すのを我慢して我慢して午後2時懐かしのラホールへ。フンザからここラホールまで29時間のバス旅であった。

YWCAまで歩く気力もないのでオートリクシャーに乗る。親父に「YWCA。YMCAじゃないよ」と数回念を押し、OKOKとという返事をもらって乗ってたら連れて行かれたのはやっぱりYMCAだった。YMCAから地図を見ながら指図しどうにかYWCAに着く。

荷物を置くと結構お腹が空いている事に気づきホリデーインホテルに行く事を決心。行く途中でペプシを飲み、ホリデーインではカプチーノ、チーズバーガー、アイスティーをむさぼるように食べる。ラマダン中なのでこうゆうホテルしか食べる所がないので来てるわけだが、これは結構いいホテルの使い方のような気がする。物価の安い国の高級ホテルなら私のようなものも十分利用できる。但しレストランだけだが。さすが一流ホテル。パキで初めて上流階級然とした女の人を見た。

5:40pm頃のラマダン明けに備えてレストランのボーイが次々に料理を用意している。その国に入ればその国の習慣に従うのが普通かもしれないが私は本当マイペースである。お腹を空かした人の前で食うわ、飲むわ、吸うわ、少しはきを遣えばいいのだが性格なのでしょうがない。あと外人だからとじろじろ見られるのも好きではない。そういう奴には思いっきり睨み付けてやる事にしている。アイスティーにレモンを入れすぎてただのレモンジュースになってしまった。

今5:10pm続々と金持ってそうな連中がレストランに入って来ている。
5:20pm追い出された。ラマダン中なので予約でいっぱいなのだそうだ。予約せずに来たファミリーが入れずにいた。カードで支払い借りたボールペンを腹いせにとって出てきた。YWCAに戻って隣のベッドの日本人と晩飯に出かける。(コーラとチャイだけ)夜のラホールは電灯けばけばしく人出もかなりのものであった。甘くないソフトクリームをなめながら宿に戻ってきた。YWCAは広間に大きな机、キッチンもありとても過ごしやすい。出来れば休憩もかねてもう1泊したいが必要以上に日数を使っているのでなくなく明日インドに向かうことにする。フンザの寒さが嘘のようで今は普段どおりの格好をしている。

久々の落ち着いた夜を迎えられている。

また夜行バス

1月26日 (月) フンザ−ギルギット− (夜行バス)

8時起床。寝るのが遅かったので起きるのが結構辛かった。外を見ると少し青空が山々の上にのぞいている。フンザで見る初めての青空だ。(昨日までは白だった)

今日ここを去る事をこの天気のおかげで少し戸惑ったが、こんな寒さにはもう耐えられないと思い荷物をまとめる。凍りそうな水で髪だけ洗いもう1日いるという佐藤君に2日分の宿代(1泊50rs、総合計200rs)を渡してサヨナラし、(ハイダーには会えなかった)祐司君と街を歩いて下りた。スズキ(5rs)に乗りアリアバードへ行きすぐギルギット行きのバス(50rs)を捕まえる事が出来た。

チャイ屋に入ったもののゆっくり飲む間もなく(4rs)9:45AM出発。12時前に到着するまでの約2時間、私は感動で胸がいっぱいであった。「カラコルムハイウェイ」美しい響きを持つ魅力的なその名前、あまりにも雄大な景色、険しい道。フンザに行く時は寝てたのでほとんど見ていなかったしフンザでは白かった。

バスが止まる度に窓から顔を出して夢中でシャッターをきった。今まで私の中でのアジアNo1はベトナム、メコンデルタであったがその称号はこのカラコルムハイウェイに譲る事にしよう。夏にもう一度この景色を見てみたい、そう思わざるを得ないほど美しい景色であった。(美しいという言葉のなんと貧困な事か!)

ギルギットのNATCO(バス会社)で2時発のBIG BUSのチケットをとり、それまでの時間ギルギット市内を散歩。コーラさえ飲めず、腹へってこまっていたらバス停にレストランがあった。バスはギルギットを出てピンディーに向かって走った。その間一体何度「すげー、すげー」と連呼しただろう。夜途中立ち寄った所でキーマカレー、ナン、チャイ(33rs)を食べたが、来る時食べてキーマより味が劣っていた。前回食べたキーマはパキスタンに来て初めておいしいと思えるものであった。

そんなに寒くもなく快適なバスであった。ミニバスの方が早く着くとガイドブックにかかれていたが、遅くてもよっぽどこっちの方がいい。来る時にのったミニバスは2度と乗りたくない史上最悪の乗り物1位に認定。しかしバスの中でたばこを吸う奴等にはむかついた。それに加えてバスの乗客はなんでこんなにむさっくるしい男ばっかりなんだ!

カラコルムハイウェイ

1月25日 (日) フンザ (HAIDER INN)

夜中死ぬかと思った。
用を足す為何度か目を覚まし、寝袋から出るはめになったがその時立ち眩みがしてベッドに倒れ込んだ。強烈な吐き気、気絶しそうになった。すべての服を着込んで寝袋に入り布団2枚かけて寝ていたのだが、それでも背中辺りが冷たく感じた。着込みすぎが逆に寒さを呼んでいた事に気づきウィンドブレーカー、セーターを脱いで寝袋に入った。隣のベッドの佐藤君のいびきもあってなかなか寝付けなかった。

それでも10:30AMまでの15時間以上寝袋に入っていた。確かに寒いが体調は少し喉が痛いのをのぞけばいつもと同じようだった。

11時、チャイとプレーンオムレツを作ってもらっい朝食とする。祐司君と丘を下りてフンザ川へ。その後カラコルムハイウェイを散歩。あと170キロ向こうに行けば中国である事を思えば、この道がはるか昔からのシルクロードとして文化を運んでいたと思えばとてもロマンティックな街道である。

眼下には何千年も変わらず流れつづけているであろうインダスの源流フンザ川が流れている。道沿いには2世紀にかかれた壁画のようなものもあった。この道を歩いてるだけでなんとなく昔ここを通っていった人たちの思いが重なるような不思議な雰囲気を感じ取る事が出来た。悠久のひととき。

3時間ほど歩いて宿に戻り買い出しに。クノールラーメン(12rs)を買ってきて台所で作って食べた。(祐司君がトルコで買ってきたガーリックペースト入り)ハイダーにランタンに火を入れてもらって日記を書いている。

夕方西に太陽が沈むと同時に山がオレンジ一色に染められる。神々しいひととき。6時夕食。昨夜と違うメニューは青菜の炒め物が合っただけ。宿の客は昨日と一緒で日本人5人。そのうちの一人はここにもう1ヶ月もいるらしい。今日は朝から停電していてハイダーによると9時過ぎまでつきそうも無いということだったのでそれまでランタンの火の下でトランプをした。大富豪、ブラックジャックで盛り上がる。祐司君から26rsまきあげた。100円にも満たないがここの26rsは26rsの価値を持っている。朝ご飯がただになった。その間、ラーメン(マサラ味)雑炊(味噌汁)お茶などを暖房用につけてくれた電熱器で作って食べた。

9:30pmに電気が点いた後もカードは終わらず夜中2時半まで続いた。3時前寝袋に入った。佐藤君はギターをもって旅をしている。彼の弾く「魔女の宅急便」はここの雰囲気とあいまって最高に良かった。

フンザ到着

1月24日 (土) ギルギット−フンザ (HAIDER INN)

はっきりしない記憶の中でだんだん明るくなってきて素晴らしい景色が目に飛び込んでくるようになった。夜中、想像しか出来なかった景色が現実のものとなって目の前に現れてきたのだ。インダスの源流であろう緑の河、名も分からぬ高峰がそそり立っている。朝7時山から日が昇ってくると同時にようやくギルギットに到着。疲れた。疲れ果てた。また戻る時このバスに乗らなければならないのかと思うと本当ぞっとする。

一緒にPOPULAR INNから来ているパキ人の1人はギルギット、マディーナホテルのオーナーで休憩する部屋を提供してくれた。私たち3人は氷のように冷たく、重く湿った布団に包まれ震えながら眠りに落ちた。あの布団でも寝れるほど疲れきっていたのだ。

2時間ほど寝て9:30AMフンザ行きのバス停へ。人に聞きながら10分ほど歩いて車の停まっている所を探し出した。小さなワゴン車の一番後ろの列にぎゅうぎゅう詰めにされる。(他にイギリス人観光客1人)10:30AM発。

1:30PM頃着。ほとんどの時間を気絶していたのでこの3時間ほどの時間の感想は無し。おー、ようやくフンザについた。インド、バラナシ、クミコハウスでこの場所を聞いてまさか本当にこの地を訪れる事になろうとは。ガイドブックにのっているフンザの写真は桃源郷と言う言葉がぴったり当てはまる美しいものだった。風の谷のナウシカのモデルになった場所だと言うのもうなずける。

が、しかし、こんなにツライめをしてここまでやってきたというのに期待は無惨に打ち砕かれた。白く濁った空、茶色の土地、寒さも手伝って、抱いていた希望が大きかっただけにこの天気による落胆は大きかった。ここは夏に来ないと駄目な感じだ。観光客もまったくと言っていいほどいない。宿に荷物を置き散歩してみるが特に興味をひくものはなかった。かつてのフンザ王国の砦、バルチック・フォートはオフシーズンだからか、閉じられていた。

ここの住民はラマダンだというのに物を口にしていた。いいの?と聞くとそれがどーした?という返事を表情で返してくれた。フンザの人間は明らかに顔が違う。中央アジアの顔で女の人もヨーロッパ系に見えなくも無い人がいた。

6PMハイダーじいさん手作りの夕食、豆、ポテト、マカロニ、チップス。食ってすぐ眠りに落ちた。ここの宿HAIDER INNは親切なハイダーじいさんの名前からとったものだ。

ギルギットヘ

1月23日 (金) ラーワルピンディー (夜行バス)

10時半起床。シャワーを浴びパッキング。フロントに金を払いに行くと(1泊100rs x5)、これからギルギットに飛ぶと言う2人のパキ人にあった。俺はバスだ。どっちが日本人か分からない。そのうちの1人はギルギットで宿のオーナーをやっていていけばお茶に1杯でも出してくれるとの事。その後結局彼らのフライトはキャンセルになり、一緒に行く事になりバス(330rs)の予約をしてくれた。あと昨日この宿であって良かったら一緒にフンザに行こうといってた佐藤君と祐司君も集合し2時日本人のおばさんが運転するジープに乗り込みバス停へ。ついこの間自分で調べたバス停と場所が違っていた。バナナを5本(5rs)買って乗り込んでびっくりした。1番後ろの席で膝のスペースがとても狭いのである。

午後3時20分出発。今日まで2度と乗りたくない乗り物No1はブッチギリでラオス(ベトナム国境−サワナケット)のがたがたバスであった。しかしここに今日それを超える乗り物があった。とにかくきつい。地獄だった。妖しいパキ音楽が近くのスピーカーから流れてきてとても寝るどころではない。近くの客に文句を言ったらドライバーが寝ないようにかけてるとの由。スペースが無いので体を動かす事もままならず、腰、膝が痛んだ。たばこの煙、夜中も絶え間無く大音量で流れる音楽。道はクネクネで平衡感覚もやられた。

カラコルムハイウェイは暗闇の中に険しい姿を車のライトの前に時折見せるようになった。いつ落石が襲ってきても全くおかしくない。反対側は谷で暗くて底無しに思えた。途中夕食の為に寄った食堂で食べたキーマ(ミンチカレー28rs)は滅茶苦茶うまかった。うまい、まずいの2ことでかたづけられてしまうがこれはうまいの中でもかなり感動に近いうまさだった。夜中バスがチャイ屋に寄ったので外に出てみたら気絶するくらい寒かった。バスの中では準備していた服を全部着込み、その上に布2枚巻きつけていたのでどうにか耐えられたが、それでも足とかは寒かった。服用意しておいて良かった。ようやく今までの失敗の経験が生きた。

インドビザ取得

1月22日 (木) ラーワルピンディー (POPULAR INN)

8時半起床。まだ寝ている2人を後にして、バスを乗り継ぎインド大使館へ。

昨日あった親父が宿の隣のチャイ屋でいるから、何て事を言っていたので少し脅えながら隠れるように前を通ったが声がかからずほっとした。

使館の周りはこの前より多いパキ人でごったがえしていた。彼らは列を作り番号の入った紙をもらい、くじのような感じで当たった人だけ中には入れるようになっているみたいだった。私は少し外で待たされたものの何事も無かったように中に入る。ビザ代金を払い(1375rs先日払っておけば今朝ゆっくり寝られたはずだった)今度は4時半から5時ごろに戻ってこいと言われた。

パキは今ラマダン中でレストランはすべてこの時間閉まっており、仕方なくマリオットホテルまで2キロ近く歩く。夕食2回分もするコーヒー(50rs)と、ビーフソテー(165rs)を優雅に食べながら手紙を書く(このポストカードがまた馬鹿高20rs)。滅茶苦茶奮発したビーフソテーはなかなかうまかった。高級ホテルで昼飯を食うなんぞ前例の無い事であるが、ここしか開いていないのだから仕方ない。コーヒーはポットで出てきて2杯ちょっと飲めた。ビザの受け取り時間まで今ねばっているところである。

11時半に入り今2時10分、良く考えてみると人間らしい空間にいるのは今回の旅で始めてではないだろうか?ネクタイ締めている人間をこんなに見るのは久々だ。2時半ようやく重い腰を上げ、カードで支払いを済ませBANK OF AMERICAの方へ歩く。

少し時間をつぶしてインド大使館へ戻る。早く行ってももらえると読み、3時45分到着。この時後ろから日本語で「こんにちは」と声をかけられる。振り向くと19日の申請の時あったおばさん(山口さん)であった。良かったらこの後食事に行くので、と誘ってもらい、のこのことついて行った。ナデームという26歳の男と、吉澤さんという関西外大在籍中でこっちにウルドゥ語を勉強しに来ている学生も一緒だった。

レストランは昨日のデニーズの近く。フライドライス、ラムチョップ、甘いジュース、煮込んだ豆、ビーフなどをおいしく食べた。最近ボーナスがJICAから出たらしくおごってもらった。昨日の夜から一気に肉三昧。山口さんは明日からインドに行くとの事。皆とても優しく本当にいいひとときを過ごさせてもらった。旅の醍醐味だなー。このあとイスラマの夜景を見せてくれる事になり山の入り口まで行ったものの入り口が閉まっていて入れず、シャーフェイシャルモスクに連れていってくれた。ラマダン中はいろんなとこらから集まってきた人々が10日間ぐらいここに泊まりながらお祈りを捧げるとの事。このあと、ネオンきらめくジンナーマーケットをぐるっと廻って9時前皆とサヨナラした。

イスラマからミニバスにぎゅうぎゅう詰めにされながら9時半宿に戻ってくる。北村君は既にぺシャワールに旅立って行って行き、代わりに祐司君という人が入ってきた。彼も世界放浪中の旅人だ。またまた今夜も頼んでもないのに宿の親父がチャラスを差し入れに来た。

インドビザを取る為にこんなつまんない街に5泊もする破目になってしまったがようやくビザも取れ、明日はフンザに向けて出発だ。つまんないと言ってもいろいろ出会いとかもあって楽しかったかな。シャワーを浴び只今11時25分、「ENYA」のテープを聞きながらこれを書いている。中根さんの不気味な笑い声が止まらず、つられてこちらも笑いが止まらない。

タキシラへ

1月21日 (水) ラーワルピンディー (POPULAR INN)

11時前何もする事が無い私はそれまでそれほど行きたいと思っていなかったタキシラに行く事を発作的に決定し、バス停を探しに南に歩き出す。人づてにバス停を探し出し、出発。タキシラまでのバス代(8rs)はバス停を探していた時聞いた親父がたまたま隣に座り、何とおごってくれた。バスをおろされた所はまだまだ博物館からかなり離れていたので、スズキ(と呼ばれる乗合の車)に乗って近くまで行き歩いた。

客は私ひとり、博物館(4rs)の展示品はまあ、何と言うか、こんなもんだろ、という程度。仏像のアタマばかりが並んでいた。小部屋に行くと係員が寄ってきて「写真を撮れ、撮れ」とささやいてきたが、いざ撮ったら「金を出せ」と言い出すのは目に見えていたので無視した。カイロ考古学博物館でやられた経験あり。10分ほどで外に出て割と近いシルカップの遺跡くらいは歩いていけるかと思い歩き出すと待ち構えていた親父が馬車をひいて追いかけてきた。後ろには荷台には日本に4年間いたという片言の日本語を喋る親父が乗っていた。200rsの言い値をまだ高いな、と思いながらも120rsにして4カ所まわる事にした。

馬使いの親父がくれた親父のくれたオレンジをかじりながらジョーリアンへ。あと小さいのを2つ見た後シルカップを見学。頭の中は「ドナドナ」とゴダイゴの「ガンダーラ」がずっと流れていた。この間ずっと日本語を喋る親父が一緒についてきていた。すこしうっとうしいのだが、遺跡にもっとうっとうしいガイドなどがいると逆に相手してくれたりしていて「ガイドには金を出すな」とか味方してくれてるようなのでまあそれなりにこちらも笑顔で対応した。

馬車に引かれながら何人もの住民とすれ違い、挨拶を交わす。みんな笑顔で返してくれる。旅をしていて本当嬉しく思うのはこういう時だ。心が温かく満たされていく。4時ごろ見終わり帰る事にし親父と一緒にピンディーに戻ってきた。寒い中「仕事帰りの車に乗せてもらおう」と言い出し、巻いていた布を長い間取らされて(奴曰く、破れたズボンはモスリム社会では良くない。外人が布を体に巻いていると中でナイフとかを持っている危ないイメージとのこと)立つ破目になった。

最初の1台だけただで乗せてもらえたものの、大きな通りに出てからはバス。しかし宿までのバス代を出してくれた。この親父最後まで何物か分からなかった。ただ単に人がいいのか、(日本人大好き、日本女性と結婚したいとかぬかしてた。いい加減にしろ)裏があるのか、(明日も会おう、何時に宿に戻ってくるんだとしつこく聞いていた)とにかく暇で寂しいのか、(独身で無職)5:50pm宿の隣でチャイを飲んでサヨナラした。

6時半、よくよく考えてみると今日1日オレンジ1個しか口にしていない。とにかく今日はうまいものを食べたいとドミの3人で熱く協議した結果、なんとイスラマの偽デニーズ(DENY‘S)まで行く事に。

バスを乗り継ぎ(この時1人あたり3円をぼろうとした兄ちゃんに切れた北村君、奴を平手打ちにしていた)3キロ以上歩いてレストランへ。ここは私が19日に見つけた所だ。日本語、写真付メニューを手にした瞬間3人は興奮した。散々悩みぬいた挙げ句牛丼を注文。出てくるまでの時間のなんと長く感じた事か。おー、神様、待望の牛丼登場!なんでトマトがのってんの?気を取り直し、他人にトマトは譲渡し肉を口に運ぶ。え?なにこれ?甘く味付けされた牛肉、マサラのきいた米、何でこんなもの入ってんの?の梅干し2個。食えない事はなかったが、これで135rsは高すぎる。まあとにかく久々の肉だし、お腹もいっぱいになったのでピンディーに戻ることにする。また夜道を2,3キロ歩いてゼロポイントまで行き乗合バスにぎゅうぎゅう詰めになりながら11時頃宿到着。疲れた大ディナーであった。この部屋は工事の埃もあってか、非常に汚い。荷物が埃まみれだ。夜はいつもの夜だった。
プロフィール

koji

Author:koji
やったらやったでどーにかなるよ!のいい加減さと石橋叩きすぎ心配症の2面性を持つ男。
人生は一度きりとか言われるとなんかやたら焦る・・・

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